今週のメモ: 機械の痛みがわかるのは男の子特有かもしれない
「この洗濯機もそろそろ寿命ね」と妻が言う。
そんな何気ない会話から3年近く経ったある日、洗濯機を買い替えることにした。
はるか昔に無印良品で買った洗濯機はゴトゴトキュルキュル変な音を出しながら十数年元気に動いてくれた機械でいつも夫婦の生活のそばにあったものだから、なんだか心がざわざわした僕は業者さんに引き取られる前に最後の挨拶をした。
きっとすぐに解体されてしまうんだろう。痛いかもしれないけれど、ごめんな。今までありがとう。
「ぶつぶつ機械に向かって喋るなんて変ね」と妻に言われて気がついたんだけど、もしかしたら機械に感情移入をしてしまうのって男の子限定なのかもしれない。
男の子の成長過程には変形ロボがいたり大長編ドラえもんに出てくるバギーちゃんみたいな、今でいう対話型AIが載っている喋る機械が悪者にやられて潰されてしまうシーンが所々あって、その時に心に刻まれた「心の皺」のようなものが機械を捨てるときにひょっこり顔を表すのだろう。これってスイッチが切れたペッパーくんを見ている時の感情にも似ている。どこか切ないのだ。
女性が薄情というわけじゃない。心の痛点が違うだけだと思う。きっと女性には男どもが知り得ない感覚があるのだ。そう考えると何が何でも性差を否定して世の中をフラットにしようとする運動と意見はだいぶ邪悪だと思う。
そんなことを考えていたら、新しい洗濯乾燥機が出来上がり時刻の延長を申し出た。妻が洗濯物を詰め込みすぎたのだ。
やっぱり女性は機械に手厳しい。