#022: 大学無償化やるなら国立大の入試をなくせばいい

岸田政権が打ち出した大学無償化案、3人目の大学学費を無償化する政策が案の定火だるまになっている。

いまの日本が手をつけなければいけないことは、子供を産み育てるモチベーション喚起して少子化を止めることと、日本の高等教育を時代遅れにしないことの2点であることは間違いないのだけど、岸田政権が打ち出した政策ではどちらも実現できそうにない。

方々で言われている通り、大学を無償化されたところで国民は子供を持ちたいと思わないだろうし、3人目以降という高すぎるハードルが追加されたら有名無実な政策と言われても文句は言えない。

この件に限らず岸田政権が国民から徹底的に馬鹿にされる原因は、問題点をきちんと把握せずに既存の仕組み(時代遅れの社会構造)の延命策を解決策にすげ替えて自信満々に「総合〇〇対策」と名前をつけて国民に上からぶん投げてくるからだ。この大学無償化案であれば没落しそうな私大や教育産業を延命するために、少子化対策の名前を借りたばら撒きでしかないし、ちょっと前に打ち出したウェディング補助もウェディング業界へのばら撒きでしかない。業界へのばら撒きを国民の支援だと考えてる以上岸田と自民党は永遠に間違い続けるし、国民は彼らをどうしようもない馬鹿と考え、信頼なんて生まれないだろう。

 

 

自民党と岸田政権が掲げる大学無償化に代わる案があるとしたら、僕は国公立大学の入学選抜をやめて進級と卒業に高いハードルを課し、地方国立大学にはその地方出身者を優先的に入学させる代わりに学費を1/3-1/4程度にすることだと思う

2023年の出願状況を見ると国公立大学は3-7倍程度なので、全入させれば一人当たりの授業料を思いっきり下げたって成立する。理系学科だと実習やら施設設備が必要になるけど、それでも国が国債刷って予算を作ってばら撒くよりもよっぽど健全じゃないだろうか。

校舎が足りないのであれば廃校の教室を使ってサテライト授業をやったっていい。新しい校舎作らなくていいんだからむちゃくちゃにSDGsだ。

遊んでいる学生は進級も卒業もできずに学校の養分になればさらに学費を下げられるかもしれないし、きちんとCertificateされた学生が卒業してくれればその地方に人材が残ってくれるかもしれない。当然大学の評判も上がる。国民の知的水準も上がる。

大学入試センターなんて無用の組織も解体して身軽にしたらいい。あるいは大学卒業レベルに達していることを評価する第三者機関として改組してもいい。

ちょっと前に岸田がリスキリングって言葉を使っていたけど、リスキリングのための機能を地方の国立大に持たせたっていい。

さらにサラ金まがいの取り立てを行う奨学金機構もビジネスを縮小せざるを得なくなるかもしれない。

私大にとっては真冬の時代が来るだろうけど、困るのは許認可の権限を持っていた文科省の役人とFラン大学経営者くらいのもので、将来的に社会の荷物になる私大は勝手に統廃合が進むのだから政治も行政も高いところから眺めていれば良い。

かくして財政出動なんてせずとも高等教育の負担は減り、国民の知的水準は上がる訳だからいいことづくめだ。

これが少子化対策として効果が出るかと言われると微妙だけど、少なくとも岸田ポンコツ案よりはまともだと思うのだけどいかがだろう?

#021: 民主主義の根本的な欠陥

トランプに輪をかけたようなポピュリストがアルゼンチンの大統領に当選した。

左派の失政が続いたアルゼンチン国民からしたら彼くらいの劇薬が必要なのかもしれないし選択肢がなかったのも事実だけど、その国の教育水準以上の政治家が出てくることはないし、国民の教養以上の政治家が選ばれることがないのは民主主義の欠陥だと思う。

小泉純一郎に「じゅんちゃーん!」と黄色い声を上げた農家のおばさんや、アイドル候補に票を投じる日本の有権者を思うと、この国のアルゼンチン化は20年以内に起きるだろう。

#020: ゆっくり出世するという生存戦略

かつてほんの数ヶ月ほどひとつ屋根の下で働いた元同僚となぜか定期的に食事に行く。

仕事が被っていた期間が短いし直接関係があったわけではないので僕を含めた数人で食事をしながら最近の仕事の話をする意見交換会のようなものなのだが、元同僚は気がつけばするすると出世して僕の倍程度の年収になっていた。

この食事会に参加した面々の共通事項は仕事くらいのものなので、一通り最近の仕事の状況の話が終わると話題は収入と車、不動産、子供の進学へと移っていく。僕は最近の小説や映画、美しい空間について意見を交換するという文化的な活動をしたいのだけど、所詮は仕事でつながっている人々なので共通理解が及ぶ話題となるとこれくらいしかないのだ。仕方がない。

僕が収入にも車にも子供の進学にもまるで興味がなく、興味の範疇が映画や写真の美しさなので彼らと同じテーブルで食事をしながらも何処かいつも上の空で話を聞きながら「価値観が同じ土俵になくて良かった」といつも感じている。

年収と乗っている車、子供の進学先や模試の点数みたいな数値化されるものが価値観になっていたら自分の魂を常にレッドオーシャンの中に浸けているようなものだからだ。

 

元同僚は元気だったけれど、顔色は優れなかった。頭頂部も寂しくなっていた。

人権のない分野の外資系なので高額年収者からバッサバッサと切られていくという話を聞きながら、下手に出世したがために後戻りできなくなってしまう状況はきついなぁと思った。

転職するにも年収を維持しなければならないし、必然的に相応のポジションより上を狙うことになる。子供の進学を考えたら年収を落とすこともできないし、いいクルマから軽自動車に変えることもバー通いも中々やめられないだろう。ポジションを落とした転職活動をしても、訝しがられるだけだし、次に繋がるポストがいつまでもあるわけじゃない。

「今の新社会人は出世したくないと考えている」なんて話題が少し前にあったけど、VUCAの時代では出世はひとつのリスクなのかもしれない。とはいえ出世しないまま50代に突入するなんてことも悲劇的なので、スキルをつけながらゆっくり出世するという生存戦略が必要かもしれない。

流暢に喋る彼の横顔を眺めながら、そんな思いを抱いた。

 

 

#019: MOTHER 3のもうひとつのテーマについて

発売から17年が経過したMOTHER 3を改めてプレイしている。

名作と言われるこのゲームだけど、前作に比べて世界観がちょっと暗い。
代々平和な暮らしを続けてきた小さなコミニュティに「カネ」と物質的な豊かさ(ここではテレビがその象徴として登場する)を教え込み、軍隊を押し込んで鉄道を作って支配下に置いてしまう一幕が、大人になった自分の目にはとても他人事に思えないのだ。

初めは多くの住民が「シアワセ」に背を向けていたのに数年もすれば過去の街がすっかり壊されて所謂現代的な人と街に更新されていく様は、民主化を絶対的な正義として東欧や中東の政権を軍事的/非軍事的にひっくり返し、焼け野原にした挙句に文化やコミュニティを破壊し資本の傀儡としてきたアメリカそのものではないだろうか
アメリカ的な価値観にそぐわない政治と文化の暴力による転覆は一旦シリアで終了したが、その後もアメリカを中心とした国際世論は性自認や多文化共生を(穏当なかたちで)この国にも押し込んでいる。

もちろん男尊女卑や性暴力のような解決しなければいけない問題はあるにせよ、性自認や文化の多様性はその土地に根を張り文化を維持するための役割を担ってきたシキタリの一部である。
メディアの煽動を間に受けてアメリカ追従をした先に豊かな暮らしがあるとは思えないのだ。戦後数十年の間に制裁を受けたり再占領されないだけマシだったかもしれないが、これから先の日本の未来を考えた時にアメリカの手足となり行動することに正当性があるとは思えない。

このゲームが世に出たのは2006年。

同時多発テロが起きたのが2001年で、その後アメリカは「正義の戦争」に突入していく。アフガニスタンを焼け野原にし、大量破壊兵器の濡れ衣を着せてイラクの政権を転覆させシリアを破壊した。SNSを使って民衆を先導して東欧諸国の政権をひっくり返し(カラー革命)た世界線糸井重里さんはどう眺めているのだろう?

きっとそんなテーマや思想はなかったと思うのだけど、もし機会があれば直接聞いてみたい。そんな機会ないと思うけど。

#018: その指先で触れるもの

糸井重里さんがほぼ日の内容をまとめて出版している書籍をペラペラとめくりながら、指先が紙質の違いに気付きふと立ち止まる。思わず何度も紙の表面を指でなぞってみる。一冊の本の中であえて紙質を変えている。表紙の紙質も只者ではない。少し硬くてざらっとした紙の質感はきっと編集者のこだわりなのだろう。

壇上でスティーブ・ジョブズiPhoneを誇らしげに掲げてみせてから15年が過ぎようとしているけれど、あの日から僕たちの指先の記憶はスマートフォンのディスプレイばかりになってしまったし、一日中画面から流れてくる視覚情報に脳が占領されている。

元来人間が一日に受け取る情報のほとんどは視覚から入ってくるとはいえあまりに視覚情報が価値を持ちすぎていて、SNSのフォロワー数や強い意見、インフルエンサーの言動があまりにも僕らの生活の中心にありすぎるように考えている。

でも、豊かな生活とは視覚的に豊かな生活ではなかったはずだ。むしろ僕たちが豊かさを感じる時は視覚よりも触覚が重要だったのではないだろうか。

ざらざらとした洗い立てのデニム。太陽の匂いがする。

手のひらに吸い付くような飼い猫の脇腹。ふわふわとした犬の胸毛。

ひんやりと冷たくてサテン地のような触り心地のMacBook

生ぬくてべったりとした感触の電車の吊り革。

干したての掛け布団とシーツの感触。

週末に一度立ち止まって目を閉じ、身の回りの物の手触りをもう一度感じてみたい。

 

#017: レコードブームとモノ消費

ぼんやりTwitterを眺めていたら、子供にせがまれてLP買った人の話が流れてきた。レコードが再び脚光を浴びているとか生産が間に合わないみたいなニュースは見ていたけど、Z世代の最後の方の子供がレコードを欲しがっている、クラスの子も持っていると言う生々しい話を聞くと数年ごとにあるリバイバルブームではない本物っぽさを感じる。

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#016: iPhone買うお金でソファを買おう

無印iPhone 15が¥124,800から、iPhone 15 Pro Maxが¥189,800からスタートというすごい価格みたいなんだけど、便利を通り越していつの間にか面倒事ホイホイになっちゃった感があるアイテムに大金出すならより生活を豊かにするアイテムにお金を出した方がいいと考えている。スマホなんて古いので十分じゃない?

僕たちがスマートフォンでやることって詰まるところゲームだったりメールや株価のチェックだったり買い物だったりSNSだったりするんだけど、そのどれもがユーザーを中毒にさせる仕組みが巧妙に張り巡らされていてTwitterの論争やInstagramのあざとい投稿を目にして気を病んでもなぜか見ちゃうし、LINEの返信が気になるしゲームや株価に追い立てられていつの間にかスマホを手に取っている。

この中毒を作る仕組みは害悪だしできればこの仕組みから抜け出した方がいいだろうし、そう考えると人を中毒にする仕組みの入り口になっているスマホを買うのってやっぱり違うと思う。どうせ新しいiPhone買ったって写真とってSNS見るくらいでしょ?

だったらそのお金でいいソファかベッドを買った方が生活の質は格段に上がると思うんだ。

Ideeで取り扱っているこの3シーターなんてiPhone2台ぶんの価格だけど、実物を見に行ったら豊かなクッションと堅牢なフレームが手触り良くてべらぼうに良いプロダクトだった。あまりの気持ちよさにうっかり寝てしまってもリクライニングがないので体があまり痛くならないしオットマンもフワッとしていてすごくよかったし、数年で買い替えを強要されるスマートフォンと違って数十年は生活を豊かにしてくれると思うんだ。

ソファって人生の伴侶だと思うんだけど、どうだろう?

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