#018: その指先で触れるもの

糸井重里さんがほぼ日の内容をまとめて出版している書籍をペラペラとめくりながら、指先が紙質の違いに気付きふと立ち止まる。思わず何度も紙の表面を指でなぞってみる。一冊の本の中であえて紙質を変えている。表紙の紙質も只者ではない。少し硬くてざらっとした紙の質感はきっと編集者のこだわりなのだろう。

壇上でスティーブ・ジョブズiPhoneを誇らしげに掲げてみせてから15年が過ぎようとしているけれど、あの日から僕たちの指先の記憶はスマートフォンのディスプレイばかりになってしまったし、一日中画面から流れてくる視覚情報に脳が占領されている。

元来人間が一日に受け取る情報のほとんどは視覚から入ってくるとはいえあまりに視覚情報が価値を持ちすぎていて、SNSのフォロワー数や強い意見、インフルエンサーの言動があまりにも僕らの生活の中心にありすぎるように考えている。

でも、豊かな生活とは視覚的に豊かな生活ではなかったはずだ。むしろ僕たちが豊かさを感じる時は視覚よりも触覚が重要だったのではないだろうか。

ざらざらとした洗い立てのデニム。太陽の匂いがする。

手のひらに吸い付くような飼い猫の脇腹。ふわふわとした犬の胸毛。

ひんやりと冷たくてサテン地のような触り心地のMacBook

生ぬくてべったりとした感触の電車の吊り革。

干したての掛け布団とシーツの感触。

週末に一度立ち止まって目を閉じ、身の回りの物の手触りをもう一度感じてみたい。